出   藍

 


死 生 観

雁 来 む

しらぬひ筑紫の雲を征戎の衣とまとふ三月の医師

 

鯨軍のことに若菜をほめそやす嘉穂郡穂波町の理髪師

 

角の花舗にて求めたる拳銃を明日は百合若殿に返さむ

 

天神の書店「氷沼」にかぎろへる新古今和歌集雑歌下

 

一列の雁朗々と韓歌を歌ひつつ中州に至るべし


その名雄楽

青嵐わが肉体を透きて過ぐ素志をたもつも羞恥のひとつ

 

生しし娘二人ロトの顰みに倣へるにあらねど塩のごとき夕暮

 

みなぎれる穂麦の精気フランソワ・ヴィヨン穂麦を歌はざれども

 

はらみたる妻こそよけれほむらたつ紫陽花を光背にしたがへ

 

歌は言葉のみだるるはじめみづからを知れれば昏く宇宙耀ふ

 

わが頭上脅かしつつうつろへる真鯉の影の雄雄しき憂ひ

 

しらぬひ筑紫の海にとどまれり不埒なれども愛すべき雁

 

咎あることそれも愉悦のわが生をつつめる蘇芳襲の霞

 

あかねさす口腔見ゆれ声すごく三度友呼ぶかの大鴉

 

星空に響きあひつつ零りしきるあれは若山牧水の桜

 

かろやかに春布まとへばわが町も匂ひたつ真乙女のごとし

 

神座す山の真昼間突として群るる天南星にまみえき

 

イエスてふ藤の花房年毎によみがへるわが命の証

 

樫・柏・椎の若葉のさやぐ声その名を負ひて沈みたる艦

 

打ち興じ穂麦を薙ぎ払ふ童破!星に鬣あるを知らぬか

 

苦艾摘めど尽きざりむらぎもの命の野辺を歩めるイエス

 

てのひらに漲りあふれあふれたる妻の乳房のあかねさす罪

 

熟麦の風に苛立つこの日ごろアガメムノンも絶えて見ざりき

 

雑沓に揉まれて軋む朝の歯や昨夜は晦日を祓ひつれども

 

童顔の獣医来たれり喜喜として聞くは牽牛星の近況

 

淫行のひとつにかぞふ白露をちりばめし石榴を食ふこと

 

愛はもとよりすべて達観せるごとき青年の乳香の唇

 

その名雄楽わが第三子三碧の空のはたてに雄の国あれや

 

理髪店にてさしいだす首ひとつ預言などなす身にあらざれど

 

われのみは冠千鳥と汝を呼ばむ捕へて啖ふそのためにこそ

 

腰痛のわが青空に鬱金の罅ぞ奔れる卯月真近し

 

闘争心うすれつつあり白妙の藤の穂先に頬を打たれて

 

ミノタウロスのごとくに立てる壮年のひとみに及ぶ春の曙

 

なべて他所の春のにぎはひ浮橋と言ふ名の菓子を妻に賜る

 

牡蠣拾ひ歩く干潟の昼さがり神といへども家族ある憂さ


翡 翠 橋

右住の江、左諌早、贈るべき哀歌なければさはやかに右

 

さはれ八月わが頭上にも声ありき「この星の名を苦蓬といふ」

 

翡翠なす対馬の空に漂ふは風・鴎・韓人の歌声

 

かささぎの渡せる橋も知らざれば今宵むさぼる肉の霜降り

 

空国にみつる虚人さらぬだに旅に倒れしかの曾良を見よ


感 香 紙 伝

信長の涙のごとき乙女こそあらまほしこの荒寥の世に

 

なづけたる矜りとなづけられし恥あをき楓の空のゆくすえ

 

捨て難き写真一葉養子たりし斎藤茂吉の髭の海の香

 

おだやかにうすきあかねをうしなひて死にゆく雲のわれならなくに

 

たましひ見ゆるすべなけれども花終へてにはかに天の清明を知る

 

寝乱れし国は初夏をのこらが葱のごとくに靡き行きかふ

 

口髭に火を放たるる思ひあり蛍惑星と子を呼べるならはし

 

極彩を纏ひて屯せる男おそるべき宦官のまなざし

 

鳴く鳥のわれならねどもさはやかに告げむ未明の脱宇宙論

 

生えそろいたる歯きりりと鳴らしつつ背ける吾子よそれでこそ星

 

感香紙あらば伝へむ星月夜鎌倉の地に突つたつひひらぎ

 

雲と雲逅ひて別れしそののちのわれはまづしき男なりけり

 

疾風の立姿にも似たるかな頬くれないの黒岩彰

 

空真青まさにもろ手を差しのべてつかみとるべき楽こそあらめ

 

圓盤より聞こゆ奏者の息づかひ風は穂麦の夜をわたりゆけ


垂 水 処 女

わが胸の深き海そよ白妙の牡丹ひとつ咲きいでつるは

 

生涯をかたむけし傘十五本歌てふふかき宇宙をいれて

 

緑陰に「恋する二人の死」を聴けりヒトラ-もかく果てし一人

 

紫陽花を好みてうたふ楽人にもっとも遠く額の花咲く

 

桑の実数千熟れつつ腐るすでにしてこゆべき海も主もわれになし

 

泰山木百花を得たりウラヌスの軌道しかすがにゆらぐべし

 

乙女らのたましひ爛れゆく日々をただ向日葵のごとく立つなり

 

人の世にかけがへなきは憎しみにふるふ睫毛の曼珠沙華なれ

 

歌のひとつやふたつ偸みて然るべし詐欺更紗きさらぎのはだへに

 

岩走る垂水乙女とたはぶれに妻を呼ぶ晩餐の早蕨


火 星 便

父母未生以前青藍たりしこと歌なす今となりて眩しむ

 

縁もゆかりもありて水無月赤黒の蜀葵信長のくちびる

 

襄にはキャビア・桑の実。使ひして妻が火星に向ふを送る

 

死生観もたざるわれのたてがみをすみかとなせり若き風伯

 

さうらうと歩みいたれば花棗軍歌うたふがごとくざはめく

 

父は昔、蛇取り男ならねどもいまだ奇しき香を放ちをり

 

「夫は一年家にて妻を慰むべし」・・・・・桃食ふ憂ひここにきはまる

 

父の脚・露の青葦明日こそはものの見事に薙ぎ払ふべし

 

あらあらしく一夜匂へる栗の花殉教の図をわれに与へよ

 

あへていはばくらき夏潮言霊を鎮めて永久に流れゆく身ぞ

 

愛敬町空閑歯科医院児童らの声絶えて石榴の花咲く

 

ジャンヌ・ダルクのごとき子あらばぬばたまの丈余の髪を直に刈るべし

 

げきぜつと呼ばれむことの楽しさを東下りの機中に思ふ

 

われにまむかふ乙女の衣の衣ずれや秋風嶺に立つ思ひあり

 

石榴のくれないを食む乙女あり釈迦の阿難の後追ふなかれ

 

絢爛たる劫罰あらめくさめもて汚すヴィヨンの遺言詩集

 

海鞘・海鼠・海月・言霊ことごとくあかねさす掌につつみおく

 

「白鯨」とコンピューターに入力すただちに生死不明と応ふ

 

宵宵に増えゆく智慧をひけらかす子は青麦の芒のごとしも

 

をみならがゆるるとゆする遊星に生きてなほかつ歌なすあはれ


出   藍

十余になりし子が戯れ歌をうたひをり地図の釜山に霞たなびく

 

倒れ伏す葱の緑青諌早に七度生れ変はりたる地震

 

親権のむなしさをあげつらへども深し六畳一間の宇宙

 

むしろ子を棄つるは易し芒種とて十指に満たぬ罪障を播く

 

子がために地の塩たらむ・・・・・饒舌は楓若葉のごとくひらめく

 

蓮の葉に乗りて歌へる童子にも未だ遇はずき火の星の下

 

憤然とむさぼる昼食しほからをくつがへすとはいかなる愛ぞ

 

人たること忘れゐし吾に恩寵の石榴肝硬変のさきぶれ

 

青空に星満ち胸に憂ひ満て来るべきわが終焉の日に

 

鳥獣に礼節ありと聞きしより私に鶴を食はむと思ふ


なかば錆太刀

遊戯会あなどるなかれ子が父を斬り伏せてすこやかに笑へり

 

医師学士詐欺師つどひて論じをりあかねさす文学の艶聞

 

途切れつつしかもたしかにたましひを犯す声あり「武断ノススメ」

 

不惑真近なかば錆太刀謙譲をもちて妻子に辱めらる

 

献体の手続きを終へ銀三十枚の重さをはかりてをりぬ

 

農夫すはだかなどと気負へば片雲をまとひて旅に死ねと吾が妻

 

由良の門中の海石のごとき背欲し野はつかの間の花を飾れり

 

すでに蝮の裔も絶えたり満月はハリの街区をくまなく照らす

 

かがまりて物書くわれのいやしさを存分に吹き散らす秋風

 

黒パンもファッションのうちファッションなど知らぬ乙女が争ひて買ふ

 

出藍の書をしたためむ真夜にして身はわたつみのごとくとよもす

 

えんじんのむらさきかげるまなざしを思ふべし葉牡丹の前にて

 

昭和すなはち腎虚の日々をつつがなきすめろぎの献立の黒慈姑

 

しがらみの近江をめざす新幹線四郎のごとき車掌もをらぬ

 

都市崩壊などとまれにはかたはらにありて囁き 交はす鶺鴒


牡 丹 宮 刑

みずからを歌より放て碧玉のひとみをもてるひとつ鬣狗

 

花は人を選びて開く背後にて衣さやげるはイエスならむ

 

石榴木植ゑてはなやぐ父と子の死すとも星となることなかれ

 

熟田津に船漕ぎいでむ浴槽のいまだみずみずしき妻の腹

 

うら若き保母のほほ笑み歌うたふ星を育てて此処に至ると

 

人心を乱すがゆゑに宮刑に処すと牡丹切り捨てし妻

 

思ひいづる四緑木星松柏の香もて詩歌を凌げる男

 

文学に倦みて撃ち合ふししむらにたちばなかをる夜もあるべし

 

蜻蛉を載すべき肩ぞ思はぬに妻がうちかけたりし蚊絣

 

翡翠に似し口元が完膚なきまでわが歌をつらぬきとほす

 

千鳥こそ食ひてもうましましてわが野心のごとき火に炙れるを

 

東方の賢者三人に嘉されし赤子を飾り肉を売る店

 

皇帝金貨を買ふと昭和を生き継ぎて巷に立ちならす母の群

 

歌よ帰り来れ泪羅を蔽ひつつ星をまじへて雪降りしきる

 

友の死をわが歌となす日もあらめ月光は寒梅の香にみつ


鬣を刈らうよ

太刀を換へまた太刀を換へ遊ぶ子のひとりは黒葛多巻くあはれ

 

日々増えゆくかささぎと星冬原に欅のごとく立たむ思ひぞ

 

昔男、男を売りて得し銭の響くがごとき歌を欲せり

 

目箒を得たる夕暮「妙齢のふしだら」と言ふ語のなつかしさ

 

葉交には無量寿経の花蓮われを誘ふ穴のごとしも

 

わが領す星座その名も石榴座あまた子を残すべき娘に

 

黄金虫水に沈めて遊ぶ子の耽乱 歌をよみがへらしめ

 

雄の楽しみすなはちはらなかにいでて告知のごときいかづちを待つ

 

髪を刈り葦刈り萱も刈りつくし天馬の鬣を刈らうよ

 

樹はみづからを傷むにあらずさはれさはれ梢に飾る花鳥風月

 

あらはなる肉とはいへど慎みて給はるステイリターノの葡萄

 

星の名も忘るるばかり韻文のしもべとはつゆ思はざれども

 

植木市にて求めたる花蘇芳妻に折らるる聖金曜日

 

涙ごときが頬濡らしをりみすず刈る信濃の夏霞に溺れて

 

みづから自裁し得ざるままに亡びゆく星しかすがに今朝の紫陽花


身も枯蓮の

かささぎは日々かまびすし雪霰霙こぞりて星とそそげば

 

旬日をなす術もなく伏せりける父の目に花蘇芳咲き満つ

 

鶴の頭に釘光りをり渤海の春の潮の色をたたへて

 

牛の首地に落ちて咲くなりはひの一つに歌を数へたる兄

 

眼窩薄氷を纏へり七彩の言の葉の光芒をしづめて

 

いくばくのよろこびぞ今日母の手を通す経帷子のしらたえ

 

不如意こそたましひの糧若草の妻が読みをる「グリーン全集」

 

鳥を追ふごとくに父を追ふ声のその束の間の出藍の恥

 

蓮田にあほむけに倒れたり星生るる秋をかくして眺めつくさむ

 

はりに罅はしるがごとき命終をまれには思ふ夜の曼珠沙華

 

枯蓮の中に立ちたる青鷺の面構へ吾に似たるをかしさ

 

息子に沓を買ひ与へたりヨルダンのヨハネの齢までは生きよ

 

父として望むことなし馬小屋のみどりご冬霞をつかめり

 

振りかざす剃刀神無月過ぎてさらになまめきわたるわが妻

 

雪に埋もるる枯蓮の身の父などと鶺鴒少女の文つらにくし


射 ゆ 獣 の

惜しみてあまりある日月を風伯のごとく妻子と過ぐす楽しさ

 

旅に死す証と思へ胸郭にあふれたり初夏の光は

 

麦の熟れゆくさまを見てをり都には淫らなる祝歌かみつべき

 

韮の花雨にうたるるたまゆらの生なればこそ恋ふダヴィデ゙悲歌

 

転生のかなふとあれば翡翠の羽の色などをもしろからむ

 

覚悟こそ恥の花なれあかねさすくちびるを恋人に奪られむ

 

敷島の大和言葉の海に立つ虹死に恥を人は言へども

 

射ゆ獣のごとくに生きてをりをりは読む「レオナルド・ダ・ヴィンチの手記」

 

週末を思想に倦みてうたた寝の空の色こそわが心なれ

 

ほととぎぎす鳴きつつ移る 人の世に身の置きどころ無きがうれしさ

 

葉鶏頭月下に炎ゆる手術台上のわが子に思ひ及ばず

 

われこそ歌を嗣ぐべき者ぞしかすがに聞こゆる「道化師の朝の歌」

 

桧伐りて男を倒すよろこびに酔ふわれもまた怯儒の器

 

はなやぐといふにもあらず銀桂花かすかにかをる葬列にゐて

 

壮年の胸ぞしぐるるしろがねの星を率ゐて鶴の渡れば


夫を選ばば 妻に代りて歌へる

韓国人の裔なればわが塘てふ氏捨て難し夫を迎へき

 

もとより夫は淫楽の具にあらざれどデイオゲネス的魅力に乏し

 

詰屈を窮屈と聞きあやまちて夫を歎ぜしめたる日もあれ

 

真苺に添へむ毒舌餐卓を蜜の流るる地となすなかれ

 

赤貧を矜れる夫のをさな顔「きづかさやよせさにしざひもお」

 

丹精の比良坂の桃わが前に置きたる夫を憎むはつかに

 

青水無月火のごとき子を抱きつつ医師を求めしわが夫あはれ

 

おほらかなる寝顔をさらす男ありロトの娘の罪など軽し

 

腰痛を得たるわが夫蟠居して「青髭公の城」を聴きをり

 

常に酔へるは火星わが夫あけぼのの空の色さへ見ずてありふる

 

むらさきの葡萄を夫に食べしむギリシャアの故事を半ば恋ひつつ

 

長身をもてあましつつ午睡せる夫 蟷螂は斧を持てりき

 

明日は市たつ日とて根深束ねをる夫 男娼のごとき手さばき

 

田螺はなべて乾田に死す金銀の星をかぞへて老いよわが夫

 

口舌の徒にあらざれとわが夫の日日の朝食にきざむはじかみ

 

蓮掘れる夫は渉禽にも似たりあまつさへ淡雪をかづきて

 

慷慨を抒ぶるにあらずさはれその紅旗のごとき舌が雪食ふ

 

「われは欲望のみにて生く」と松柏の香の体臭を曳けりき夫は

 

揚雲雀こゑただれたり垂訓は吾夫が耳に届かざりけむ

 

銭の嚢を託されし憂さ晩餐の夫がイエスのごとく肉食ふ

 

火をも踏む男はなきかはからずも昨日露見せし夫が火遊び

 

姦婦クリュタイイムネストラその陰になりたる麦を刈り入るる夫

 

二十九枚の銀貨は火の星をあがなふによし夫と換へむか


殴殺 飛白

銀漢はしたたるごとしわがもてるフルートにあるかなきかの熱

 

星辰の修羅といへども掌上にあれば青色青光の華

 

潰えたる王朝の名を列挙せり身も水銀のごとく光て

 

餐卓に出雲の若布伊予塩遠流など適はざる身なれど

 

つひに子を打ち据ゑにけりかかる夜の星座歯痛によりて傾く

 

春疾風わが羅を攫ひたりさはれ手をつらぬける犬釘

 

牡丹の芽ほぐるる辰美しき瞋恚を常にたもち得たりや

 

眼帯の男四月を傲然と立てり瞑府を統ぶがごとくに

 

歌なす矜持いなとよ羞恥まなかいにひらめきてつばくらの魁

 

天衣きらめく候となりけり鬱鬱と調律終はらざりけるピアノ

 

死に鎮まれる塩山を過ぎてよりただならぬわが胸の万緑

 

死後もうつつの鬱を愛せむ午過ぎて白妙の芍薬を打つ雨

 

五月蝿とて神の恩寵母いまだすこやかにその手を合せをり

 

白妙の牡丹見しのみ塵殺を命じたる王のごと声涸るる

 

はらみ乙女笑ひつつ過ぐたちまちに野の百合はあをざめて伏したり

 

うとましき紫陽花の青はるかなる海鳴りにその花を乱さず

 

悍馬のごとく臀緊りたる若人よここよりは麦秋の火の国

 

向日葵の飛首に怯めばみどりごは喜喜として天空にいだかる

 

曼珠沙華いよよ鮮しわれ遂に骨に彫るべき歌なさざらむ

 

海原の憂ひを曳ける百合鴎淋漓たれ蒼穹のきはみに

 

夕映の朱金を負ひて佇立せりあはれ瞑府に拒まれしかば

 

火の象風の姿に言ひ及ぶ祖父の朗朗たる声悲し

 

医師は胃壁の荒れたるさまを縷縷と説く窓を染めさにづらふ楓

 

衆生縁無し嘯くもよし断崖を紅葉とともに舞ひ落つる日は

 

わづかに残りたる無花果をふるまへば鋭きバリトンの呪詛もて応ふ

 

友と花柊の香を悲しめり死地を同じうするも未練

 

男てふ惨たる栄光に塗れつつ啖ふ魚卵の淡き火の色

 

飛雪火の国に及ばむ檄文の中に見出し恋の一文字

 

白光にはつか違へし半生か天狼を犯しける浮雲


たそがれの国

穀雨西より来りて麦をうるほせりアガメムノンを恋ひし若き日

 

望楼のごとき吾を攀ぢ登りたる子に紺青の海こそ見ゆれ

 

雲は陽をつつみて睫しまなかひに破船のごとき父のおもかげ

 

青葉闇にてほほひげを剃られをり白鳥として発たむ日あれや

 

さはやかに酸蓮を噛み砕く吾妻暴力に関はらぬ顔もて

 

家を保てと言ひ募る父中天に煌煌とアンタレス懸れり

 

剣葉に露顕ちにけり末弟を死地に赴かしめし朝明の

 

秋草の靡くかたへを碧玉のごとくに病める妻と過ぎたり

 

流星の香のみどりごをいだく吾にはやたそがれの国の十月

 

忸怩たりぬばたまの夜の雁来紅に潮みちくる音聴きしかば

 

白刃をはらめかす妻霜月のあはれ朝を鶏剖かむとて

 

品格を保ちつつ歌なさむにはとほしすなはち長脛の裔

 

鶴のごとき脚を矜れど荏漸とながらへて今朝雪の白妙

 

まむかひし日向の雄の胸処より碧瑠璃の疾風は起ちたれ

 

白木蓮入日を纏ふことごとく耶蘇に帰せとささやくは誰ぞ


歌 は 霜 月

四月穂麦の禾のしろがね地に満てる災のほか何を愛せむ

 

なにゆゑの怒りなりしやわが嬬は熟睡せる雄鶏を絞めたり

 

「明日ハ誰ガタマシヒ奪ラム」睡蓮のかすかなるささやきに戦く

 

処女マリア死を希ひたることありや熱湯にさらさるる若独活

 

生涯の雄壮りにしてひるがほにいまだ逢はざることを悲しむ

 

夕焼はにじむがごとしひとすじの血脈をこの地にて断たむか

 

生くる罪もとより知らず霜月の空を汚して歌流れゆけ

 

海に散りかかれる紅葉禁欲の旅わが後の世に続くべし

 

首筋に食ひこむ吾子の指先の熱き思ひを誰にか告げむ

 

もつれつつ飛べる白鳥鬱勃とわが欲望は深き淵より

 

望外の栄光と言ふべし夕映に立つ白鷺と目の合ひしこと


畏   父

性さすらひの神といへども花影にとどまりたまへ歌遊びせむ

 

「君は異腹の兄」斯く告げて奔りたるユダ 新月のごとき唇

 

恍として子を戒むる装丁のまなざしは藤波のごとしも

 

妻と争ひ父と争ふ無花果の葉につつまれしうろくづのため

 

肝臓を啖ひ終へたり愉しさは彼方に霞草の白花

 

クレマチス紫紺にふるふ失はれたるもろもろの悪を顕たしめ

 

すでに初夏貰ひ受けたるみどり児の眼に搾り落とすレモンを

 

錐は聖書のごとき憂ひを総身に湛へつつ立ちつくす初夏

 

傲然とイエス無き世を鳴き交はす時鳥たましひの宙吊り

 

創生の創古びざれ声あげて長脛が万緑を蹴散らす

 

武者幟立てて笑ふは後の世に殺し合ふべきみどり児と父

 

海溝のごとき男を生涯の敵に選びとらむ初夏

 

故なく求めし鑿を八雲立つ出雲の海の色に研ぐなり

 

麦青きまま五月尽くギリシアより姦婦の髪のごとき雨雲

 

未生以前のわれを過ぎたる風ならむ泰山木の花ゆらぐなり

 

父の笑顔絶えて見ざりき枕頭に泰山木の一枝献ぜむ

 

足下にて蟻の声せり梢上に百合たましひのごとくひしめく

 

にはかに忘じ難し嬰児のほほゑみを須喩照らしたる真夜の稲妻

 

回香のかをりかすかに漂へりわれに楽しきものの歌声

 

並ぶべき汝を喪へり鬣のごとき穂麦を飾る雛罌粟

 

「死者ハ先ヅソノ髪ヨリヨミガヘル」とぞ熟麦に大いなる夕映

 

拱手して蝿の交尾を見てゐたり昔に霞む磔刑の父

 

炎天の水田を這ふ妻とわれ約束の地と古書にいへども

 

家族は蚊帳の内にてやすらへりしばし遠流のごとき蚊遣火

 

俊足を誇りいし父 フランソワ・ヴィヨン渇仰しつつ読まざり

 

くれなゐの玉葱を切り酸にさらす歌うしなへる夜夜を愛みて

 

夕映の中蚊柱に守られて帰り来りし妻とみどりご

 

黒松に驟雨ぞ注ぐこのごろは兄さへ遠く思ほゆるかな


大鴉のごときわが妻寝室に石榴の実を持ちて入り来る

 

交はりを断つといへども八月の鼓膜に響く遠雷の父

 

初霜の髭ふるはせて呼ばはれり「餐卓に唐辛子持ち来よ」

 

しろがねの星のかをりに目覚めたり妻すでに比良坂を越えけむ

 

石榴一果裂けば淵なす蒼穹にきらめけれくれなゐの楽音

 

咽喉あるは讒言のためのみならず今宵は罌粟の実を零らしめむ

 

カイン呪はれよと叫びたるノアの舌の色とも思ふ雁来紅

 

童貞にして父となるその眼野火の色もて満たさるべし

 

曼珠沙華その金色の輪郭を濡らしつつ前の世に降る雨

 

魚鬻げるはマリアに非らず空耳に「災ヒノ時至ルナルベシ」

 

みどりごのひとみすばるの光芒を湛へつつ吾に逼る寒暁

 

子は父と列び立たたざりオリオンの右肩先に火矢放つべし

 

吾子生るる和歌生るる否別るると夢の睦月の奉書に記す

 

記憶違ひと思ふ如月蒼穹を水母のごとく嬰児ただよふ

 

すれ違ふ花菜一群童貞にして有髯の使徒のごとしも

 

齢三十四にて死にける男らのことにイエスと言ふ名忘れむ

 

汝が背後を飾る稲妻復活と呼ばるる妄迷を愛すべし

 

春の肉啖ひて忘れむみづからを支へ得ざりしてのひらの釘

 

吝嗇の父死にたりき星空をもちて葬儀の燭に代へしむ

 

微笑鬱勃たれ炎たつ花影に星の亡びを見るといへども